震災障害者と家族の声 その2

◇ 孤立している人のために、きめ細かい実態解明を

神戸市長様
阪神淡路大震災15年目の本日多忙のなか、私達震災障害者との懇談の機会を持って頂きありがとうございます。
昨年11月19日神戸市は183名の震災障害者を正式に認定し発表されました。また、12月には全国の行政として初の震災障害者の実態調査に取り組む「専門委員会の発足」またその「予算の計上」等今後の方針を発表され、支援の第1歩としてコンサートへの招待を実施して頂きました。
福祉局の皆様の尽力に感謝すると共に市長様の「震災障害に対する理解は過去は十分ではなかった」とのご発言に今後は十分理解したうえで、多く居られるであろう孤立してきた震災障害者への救済、支援を期待致します。
震災の障害者は被災当時の様々の障害を残しています。多くの重傷者は市外県外への移送により、当初から孤立感を持つ事となり、長い入院生活を終えた時、残った障害を退院時には復興に向けた出遅れ感に絶望致しました。
一瞬で全てを失った思いと、ままならぬ自分の体に悔しさが込み上げた事を思い出します。
私自身、全く救出困難な状況からテレビでは死亡者として流れた後の救出となりました。
崩れて来た壁のガレキに体をはさまれ頭上に落ちたコンクリートの壁の下50センチ余りの高さの所で立て膝座りで頭も挟まり呼吸もままならぬ中、18時間後和歌山県田辺消防本部のレスキュー隊の救出を受け東神戸病院に入院、血圧が下がり血中酸素も少なくかなりシビアにして県外への移送として杭瀬へ、更に千船への入院となり「急性心不全」「急性腎不全」「クラッシュ症候群」となりました。
生命に関わる部分のみの治療が優先することで座滅した臀部の治療が遅れ、臀部に座骨神経を巻き込んで癒着し、大臀筋が石灰化を起こし4年後は大臀筋が大きく消失し、4年間は座ることや寝るのも大変な状況でした。
私にとって今一番の苦痛は、消失した大臀筋の為に排便に障害があることですが、現在の障害の認定制度の中では、前例のない事が起きて居り本当に気の毒と医師から言われています。
今年2月か3月、CTスキャン等再度精密検査をし自分の記録として残します。生涯苦痛と付き合っていくしかありません。
震災4年後に「挫滅症候群の追跡調査」を受けた時、8名の検査でしたが並んで待つ間お互いの会話もなく重苦しい思いが忘れられません。
震災後11年目に偶然「よろず相談室」主宰の牧氏に会えた事で以後手厚く支援頂くこととなりました。障害1級の方と2級の方々の違いはどれ程か、生活の苦労はどれだけ違うのと疑問から今から実態調査をして欲しいとMBSラジオの震災番組「ネットワーク1・17」で申し上げました。また自らの「クラッシュ」の事もあり探して会って見たいと思いつき会って来ました。
今回の神戸市の183名の認定は全国行政に先駆け初の英断であり県も追随されました。
未だ多くの孤立されている方々が居られると思います。どうかきめ細かく実態の解明に向けた調査して頂けますよう望みます。
今回SBS静岡放送取材を受けた時、災害に備え防災訓練を全国で一番二番に多く行っている静岡で県の防災トップの方に「震災の障害者」について取材を行ったところ「え、どう言うことですか」とその言葉すら知り得なかった事で、震災が起きた後の事を考えると正直怖いですと言われた。大都市で大きな災害が起きる前に神戸市は全国の行政に対し起こり得る被害であると発進して頂きたく思います。
今後「震災障害者」が忘れられた存在とならぬ様、神戸市の尽力を期待を込めて切望致します。本日は誠にありがとうございました。

阪神大震災ボランティア(復興住宅訪問/震災障害者)