2012/01/19 阪神大震災での震災障害者の現状

阪神淡路大震災で障害を負った人の調査は、始まるまでに15年の月日がかかりました。しかし今も全容が明らかになっていないのが事実です。よろず相談室では、毎月、震災で障害を負った人とその家族が交流する「集い」の場を設けていますが、そこに集まる人はほんのわずか。多くの震災障害者が今も、孤立していると思われます。


≪「阪神」の伝言:大震災17年/5 震災障害者 窓口なく、募る孤独感≫

震災で脊髄を損傷し、手足が不自由になった野田正吉さん(右)。食事も妻の千代さんの介助が必要だ=兵庫県西宮市で、望月亮一撮影

 妻がスプーンですくったスープを、顔を近づけてゆっくりすする。野田正吉さん(64)=兵庫県西宮市=は千代さん(57)の介助なしでは食事ができない。

 「ドーン」。自宅アパートにトラックが突っ込んだと思ったほどの音で目覚めた。揺れが来た。隣に寝ていた当時13歳の長女和美さんに覆いかぶさる。家具が次々と背中に倒れる。洋服だんすで窓を割り、脱出した。

 「社長、まっすぐ歩けてないですよ」。経営する警備会社の社員に震災直後、声を掛けられた。1カ月後、歩行中に体がくるっと一回転した。

 脊髄(せきずい)を損傷し、首の骨がずれていた。「手術は無理」。医師が告げた。首から下の神経が徐々にまひしていく。湯船に入ろうとすると、手足の力が抜けて顔から落ち、何度もおぼれかけた。

 95年、震災の後遺症のことを相談するため市役所に電話をすると、窓口すらなかった。「震災障害者」の認識は、まだ行政になかった。兵庫県などの実態調査着手は震災15年後だ。

 翌年、出勤も不可能になり、会社を弟に譲る。しかし災害による障害への唯一の支援となる災害障害見舞金は両腕切断など要件が厳しく対象外。「こんな手なら切断してくれ」。医師に当たった。

 東日本大震災では岩手、宮城、福島、千葉4県で少なくとも42人が震災を理由に障害者手帳の交付を受けたことが毎日新聞の調べで分かった。

 震災障害者らが集うNPO法人「よろず相談室」(神戸市)副理事長で右足に後遺症が残る岡田一男さん(71)は「震災10カ月後は重傷者が退院する頃。孤立感を深めないためにも支援が必要で、実態把握が急務」と訴える。

 野田さんの折れかけた心を救ったのは新たな命。あの日、凶器と化した家具から背中でかばった和美さんが、00年に初孫美愛(みいあ)ちゃんを産んだ。幸せは、生きているからこそ感じることができる。そう実感した。

 17年を振り返り、東北に思いをはせる。「障害を相談する場もなく、見放されたようで孤独だった。東北では同じ思いをする人がいなくなるよう、仕組みを考えてほしい」【村上正】=つづく
 ◇震災障害者
兵庫県と神戸市の調査で、阪神大震災で心身に後遺症を負った人は少なくとも349人。重傷者1万683人に対して災害障害見舞金の支給は64人に限られ、要件緩和が課題だ。東日本大震災での支給も6人(昨年12月現在)にとどまる。

毎日新聞 2012年1月19日 大阪朝刊


※旧ブログより転載(2014/04/29)